活動のお話① Миний үйл ажиллагааны тухай①
来蒙600日目
いよいよ本帰国まで2週間を切りました。
来週には任地撤退です。
最近は、挨拶が
「こんにちは!調子はどう?」に
「シンタローはいつ日本へ帰るの?」なんて言葉が付けたされるようになりました。
赴任当初、半年間くらいは、活動が上手くいかず見通しも見えずに
「いつ日本に帰れるんだろ~」
なんて思って過ごしていましたが
今は任期を終えてバガノール(任地)を離れるのが嬉しいようで寂しい気持ちです。
さて今日は、今まで長文になることを恐れて書かなかった活動について書いていきます。長くなることご勘弁を・・・
活動の要請内容は理科の教員たちに対して身近な物(学校にあるもの)をつかった実験を教えることです。
教育課(日本でいうなら教育委員会)に所属してその地域の先生達と一緒に授業やセミナーをして伝えていこうって感じです。
モンゴルにはボランティアという立場で来ているので、何かノルマがある訳ではありません。
これが協力隊の醍醐味なんですが、日本で仕事は与えられるものっていう感覚が身についた僕には最初大変でした。
特に僕の場合、毎日教育課に行かないといけない訳でもないし、時間割を管理されている訳でもない。
最初に教育課の人が学校の先生と橋渡しをしたら、あとはご自由に・・・
日本にいたら気楽でめちゃいいやん!!
ってなるところですが、
モンゴル語で先生達と話して、自分で活動を獲得しないといけない・・・
立ちはだかった壁は以下のようなものでした。
立ちはだかった壁は3点
1.どうやってモンゴル語で授業するか
⇒理科のボランティアが来るのは初めてで、先生達もモンゴル語を上手く話せない僕とどうやって授業したらいいかわからない。
2.先生との実験準備の時間が取れない
⇒日本と違い授業の時間しか先生は学校にいない。実験準備という感覚が先生達にあまりない。
3.毎授業には入れない
⇒理科は実験だけでなく理論も教えないといけない。モンゴル語が拙い、知らない単語だらけで理論は教えられない。
こういった理由でなかなか活動が上手くいきませんでした。
OBやOGや隊員をサポートする人たちからは、
1年目は現状把握と課題を見つけて、2年目やりたいことができたらいいんじゃないか
なんて言われましたが、
他の隊員の話を聞くと、授業くらいは入れている人ばかりだったので・・・
環境が違うんだから、人と比較しても意味がないことはわかっていても
比較してしまい焦る毎日。
今後よくなる見通しがつかない・・・
出来ることは、とにかく学校へいって先生達と話してモンゴル語の勉強することと筋トレくらい。w
この時初めて、仕事をすることで自分の存在価値を確かめられるんだということを知りました。
そんな感じで半年が過ぎていく時に
活動が劇的に変わる運命の出会いを果たします・・・
今日は長くなってしまったので続きは次回・・・